韓国をたっぷり肌で感じてほしい

お隣の国、韓国。距離は他のどの外国よりも近い国ですね。千葉・成田からだと、飛行機で、韓国の一番主要な空港まで2時間半ほどで着きます。そんな韓国には、食、観光、文化、などどれをとっても魅力的なものが溢れています。これから韓国に行こうと思われている方には、それを思う存分楽しんでほしいと思います。

目的も様々でしょう。食を堪能したいと言う方、ショッピングを楽しみたい、史跡を訪ね歩きたい、エステやアカスリなど美容をメインにしたいと言う方、またはレジャー施設を楽しみたいとか、リゾートを味わいたいなど、韓国の楽しみ方も多岐に渡ります。そうそう。K-POPが好きな方や韓流ドラマが好きな方もいるでしょう。そういった方はライブに行ったり、ドラマのロケ地を巡ってそのドラマの世界観に浸れますね。もし、韓国旅行に行くたくともお金がないという方は→http://mobil-cali.com/このサイトをご覧になってください。お金を正しく借りる方法などが掲載されています。

多様な楽しみ方ができるというわけです。そして、楽しむ為にはその国の事についての概要だとか、どんな文化があるのか、何が流行っているのかを知っておくのも鉄則だと思うのです。その国について何も知らないで行くのは、おかしいですよね。大概の方は、調べて行くと思うのです。なので、その助けに少しでもなることができればと思い、当サイトの記事を書かせていただいたのです。

初めて韓国に行かれる方でも、旅行をより楽しめるように、韓国についてのアレコレをギュっと詰め込んでみました。お伝えしきれない部分もあるかもしれませんが、御参考になればと思います。

歴史も感じて

また、韓国旅行の楽しみ方は様々ですが、韓国には朝鮮王朝以前の紀元前2300年頃から考えても、4000年以上ほどの歴史があります。その歴史についても理解していただきたいと思うのです。韓国は、朝鮮半島内で高句麗や新羅、百済の3つの国が争っていた時代から、高麗を経て李氏朝鮮が誕生し、韓国(朝鮮半島)独自の文字であるハングルも制定されました。

そして朝鮮王朝が終焉を迎え、その後旧ソ連とアメリカの圧力により、朝鮮半島は2分され、大韓民国が誕生するのです。日本もそうだったように、韓国も国として決して平たんな道のりばかり歩んできたわけではなかったのです。その様な歴史も知ってほしいです。韓国が、どの様な道筋を辿り、今の韓国が成り立っているのか理解すれば、韓国への興味や知識もきっと深まることでしょう。普段は韓国の歴史に接する機会はあまりないかと思います。私もそうです。

記事にも歴史について書いてはいますが、更に知識を蓄えたいという場合は、資料や本、またはドラマなどで勉強をしていくというのも、旅行前の準備としては有意義ではないでしょうか。今回は、韓国の歴史についても触れてみたので、お役に立てればと思います。 そして、韓国に行かれましたら、そう言った知識を携えて、現地で育まれた文化に触れていただきたいなと思いますし、数ある史跡等にも訪れていただきたいとも思っています。

近代から現代までの歴史

1876年に、李氏による朝鮮王朝の時代が、500年ほどで幕を閉じました。日本では明治時代です。韓国(及び朝鮮)も変革の時代を経たのです。その後、朝鮮半島はどの様な道筋を辿って、今に至るのか、探ってみましょう。

朝鮮王朝後

1910年の日本の韓日合邦によって、朝鮮には反日感情が生まれました。そんな中、朝鮮が独立した国家だということを知らしめるために、国号を「大韓帝国」と改めます。しかし、1905年に乙巳保護条約が結ばれたことで、韓国併合が民衆にも知らされたのでした。

日本の統治、そして南北分裂

韓国併合が成されたことによって、日本による支配があったことは避けられない真実なのです。日本らしい文化を入れようとし、学校では、ハングルを使う事まで咎められました。1919年に起きた非暴力独立運動では、多数の犠牲者が出ましたし、捕らえられました。第二次世界大戦では、人民が駆り出されたのです。1945年に日本が戦争に降伏し、ポツダム会議で北緯38度以上はソ連が、それより下はアメリカが占めることになったのでした。

これで、南北は分裂し、国際的な組織の助けを受けて北部は平壌が首都の「北朝鮮」、南部は「大韓民国」という名になり、ソウルが首都となったのです。それが1948年でした。

朝鮮戦争

1950年には、北朝鮮が韓国に侵攻し、戦争となりました。これが朝鮮戦争です。韓国側の援軍として、先の国際組織が付き、その後北朝鮮には中国が援軍として付きました。両方で数百万人にも及ぶ犠牲者がでた戦争は、3年にも及んだのです。

その後

1960年になると、当時の大統領が、当時の政権に不満を抱いた学生たちによる運動のために首都を追われました。そして、1961年に軍需基地司令官が軍事反乱を起こし、当時の政権を変えてしまいます。そして、一時的に軍隊に政権を移すと宣言し、大統領の座に就いたのです。民主的ではなかったものの、産業や経済を発展させたのでした。この大統領の政権下で、高速道路やソウルの地下鉄などが拡げられました。

しかし、民衆は民主化を望んでおり、1979年に当時の中央政府部長に斃されてしまいます。この事件の捜査をしていた国軍保安司令官が1980年に政権を手にします。光州で起きた学生らによる民主化の運動を、軍の者たちに鎮静化させたのです。数百人にものぼる死者と多くの怪我人を出しました。以前より厳しいわけでもないし、沢山の改革をしたものの、長きに渡った軍指導の政権に、人々は疲弊していたのでした。

1987年の大統領選挙で、今度こそ民主化を期待した国民の学生デモが起こり、ついに6.29民主化宣言が出されたのでした。そして次に就任した大統領は、国際的なスポーツ大会を成功裏に終えたのでした。続いて、1997年に4度目の挑戦にして就任した大統領は、憲政史で初めて野党として政権を勝ち取ったのでした。北朝鮮との関係改善を図り、平壌で南北首脳会談を行ったのです。

李氏による朝鮮王朝時代の歴史

韓流ドラマの歴史物にも良く登場する、李氏によって約500年ほど続いた朝鮮王朝時代。その歴史の間には何があって、どんな時代だったのか、解き明かしましょう。

朝鮮王朝の誕生

1392年に、李成佳が高麗の王になったことで始まりました。明から治める権利を認められ、実質的な朝鮮王となったのです。明以降も、中国との君臣関係(中国が宗主国)が続きました。都は、高麗時代の開京から、現在のソウルである漢陽(ハニャン)に移りました。

どんな王朝だった?どんな王がいたの?

儒学の中でも朱子学の教育が政策として熱心に行われ、本が刊行されたり、活版印刷も行われ、更にハングルも出来たのがこの王朝時代。文化も栄えました。最も偉大な王と言われた、4代・世宗の時が全盛期だと言われています。今の世にも派閥があるように、朝鮮王朝にも西人(ソイン)や南人(ナミン)等の派閥が存在し、19代・粛宗(スクチョン)の時代にその争いが激化しました。また、王の中には、クーデターにより、やめさせられてしまった王もいました。

10代・燕山君(ヨンサングン)と15代・光海君(クァンヘグン)です。位を下ろされてしまった場合は、他の王の様に“宗”や“祖”が付く尊号が与えられず、王子当時の名で後世まで呼ばれたのです。どちらも暴君だったという話ですが、光海君の場合は、現代では違った見方がされています。

3大徳妃・3大悪女

李氏朝鮮においては、徳妃と呼ばれる3人の王妃が存在しました。一人は、4代王・世宗(セジョン)の正室、昭憲(ソホン)王后。お穏やかな人柄で、曲がった所のない人でした。続いて19代王・粛宗の王妃である仁顕(イニョン)王后。側室・張氏に王妃の座を奪われるも、それに耐え、後に復帰します。最後は孝懿(ヒョイ)王后で、ドラマでも有名なイ・サンこと22代王、正祖(チョンジョ)の王妃です。知性に優れた人でした。

三大悪女というのは、燕山君という王の側室、張緑水(チャン・ノクス)という側室。妓生から側室になりました。王と共に連日宴会を催し、金を湯水の如く使ったと言います。そして、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は11代・中宗の第3継妃である文定王后の弟の尹元衡(イン・ゲンコウ)の側室となり、策謀を巡らせたのです。王の代が変わり、文定王后の子が即位すると、実権を文定王后とともに握ったのです。

19代王・粛宗王の側室・張禧嬪(チャンヒビン・ヒビンは号名)。張氏は中間の身分から王の側室になり、前出の王妃を蹴落として王妃の座にまで上り詰めます。しかし、数々の悪行が明るみになり、毒薬による死刑になりました。

朝鮮王朝の衰退・最期

1904年の日露戦争の後に、日本は朝鮮(大韓帝国)を内政や財政共に自国の保護下に置きます。その権利を得るための責任者には伊藤博文が就いたのです。1906年に韓国島統監府が日本に置かれ、初代の統監には伊藤博文がなりました。しかし、併合に反対する者と推す者との議論は激しくなるものの、伊藤自身は反対していたのでした。1909年に、伊東博文が暗殺されます。

このことで、朝鮮人によって韓国(朝鮮)と日本を合併させようという要求が出されたのです。その翌年の1910年に、「韓国併合ニ関スル条約」は結ばれ、大韓帝国が日本の一部分となり、518年に上った朝鮮王朝は終わりを告げたのでした。

朝鮮王朝時代以前の歴史

李氏による、朝鮮王朝が隆盛を極める以前は、朝鮮半島はどの様な国があり、成り立っていたのでしょうか?私としても、とても興味のあるところです。今回は、そんな古時代の朝鮮半島の歴史について探っていきたいと思います。

三国時代以前

三国時代の前には、扶余、沃沮、伽耶、于山国、耽羅国といった小さな国や部族の国家がありました。三国時代にも営まれていた国もあります。

三国時代

朝鮮半島と満州(現・中国)にあった、高句麗、新羅、百済の三国による時代を三国時代と言います。一番国土が広かったのが高句麗で、その下に百済(朝鮮半島南西部)と新羅(朝鮮半島南東部)が並んでいました。日本の考え方だと、四世紀から七世紀頃だと言われています。のちの新羅である斯盧(サロ)が朝鮮半島の南東部で中国の当時の王朝である前漢から、治めることを認められたことから、この時代は始まっているのです。

高句麗は、鴨緑江(中国と朝鮮半島の国境にある)よりも上にあり、漢から独立したのは紀元前三七年(韓国の考え方で)でした。紀元前18年には、東明王(高句麗初代の王)の子である温祚(おんそ・百済初代の王)が、朝鮮半島の南西部に百済を建てたのです。現在の公州(もしくは清州)である熊津が都でしたが、その後に今の扶余に移りました。紀元後1世紀になると、伽耶が百済から独立しました。

高麗時代

高麗という国は、王建という太祖によって918年に建てられ、936年に朝鮮半島を一つにまとめ1392年まで456年続いた王朝の名です。元々、高句麗の後期で「高麗」という国号が正式に使われていたのです。都は開城(ケソン・現北朝鮮。開京とも)にありました。現在では工業団地で有名です。901年に、弓裔(クンイェ)という人物が後高句麗を建国しました。王建は、戦でも勝利し、臣下たちの信頼もある立派な人でした。

その王建を、弓裔は狙うのです。そんな弓裔を王建が斃し、王座に就きました。それが高麗の始まりなのです。その後は、892年に建国された後百済と高麗の戦いが平行線のまま続きます。新羅は高麗に従い、高麗に合併されました。政治的な動乱の中で後百済は衰えていき、936年に高麗によって攻め入られ、滅んだのです。こうして、高麗の朝鮮半島統一は成されたのです。

それから、1170年より100年間、武臣による政治が続き、「三別抄」という正規の軍隊が組織されました。13世紀には、モンゴルが何度も侵攻してきます。このことで、国内は荒れてしまい、江華に都を移しました。1259年にモンゴルに降参し、北部はモンゴルのものになってしまうのです。都はまた開京に戻され、武臣による政権はここで終焉を迎えました。そのことで、「三別抄」は解散の命が下りますが、それに反発しました。

そして、高麗は元(モンゴル)と君臣関係になったのでした。14世紀に入り、元は勢いが衰えていきました。紅巾の争いも起こり、紅巾の軍が開京(ケギョン・開城のこと)まで元軍に追われて逃げてきたこともあったのです。高麗31代王である恭愍王(コンミンワン)は元に反発する行動をしました。1350年頃からは倭寇の勢いが活発になり、高麗は苦悩します。1356年に、恭愍王は元と国交を断絶し、親元の者と親明の者との争いも起こりました。

倭寇などで武功のあった李成桂が頭角を現していて、反乱を起こしたのです。そして政権を意のままにし、1389年に恭譲王(コンヤンワン)が立てられるものの、親明派である臣下たちの後押しもあって、力を強くし、1392年に恭譲王を廃位させ、自ら王となり、朝鮮王朝を起こしたのでした。

韓国ドラマ好きな人必見!ロケ地巡りのこと

韓流ドラマが好きな方がいらっしゃるでしょう。昨今では、ドラマのロケ地巡りをする方も多いですね。『ここであのシーンを撮ったんだな』と思い返してみたり、その登場人物の気持ちになってみたり、そのドラマの世界に浸れるのです。また、俳優さんがその場に立ったと思うだけでも嬉しいかも知れませんね。

ツアーに参加

日本においても大変なヒットとなった、某ドラマのロケ地である春川(チュンチョン)に行くのが、韓国ロケ地巡りのさきがけかもしれませんね。今でも、ロケを巡るツアーが組まれています。時代劇を撮影していたセットに行くツアーもあります。時代劇好きにはたまりませんね。古い時代の朝鮮をイメージして造られた建物達を観ることができ、その当時の人々の生活に思いをはせることもできます。

もしかしたらドラマで観た事のある建物も観れるかもしれません。また、ドラマそのものに絞って、そのドラマの世界観にどっぷり浸かるというものもあります。ツアーなら単独よりも安心ですよね。午前だけのツアーや1日たっぷり巡るというツアーなどシステムも様々あります。ツアーが用意されているドラマもとても多いので、選ぶのも楽しいですね。あなたならどのツアーに参加しますか?

単独で

ツアーに参加せず単独で巡るのも気楽でいいかもしれませんね。その場合は、ロケ地が観たいドラマを決めておき、1作品に集中して行くのも手です。事前に入念な下調べが必要ですね。ドラマで俳優さんが訪れた飲食店に行き、同じものを食べるというのも、ファンにとっては嬉しいことではないでしょうか。「ここに座っていたのだな」と思うと、感動しますね。行く際には、無理のない計画をちゃんと立てて、日程は詰め込み過ぎない方がいいかもしれません。

交通網に関しても、調べておきましょう。同じ場所が、幾つかのドラマの撮影現場になっていたりもするので、「あのドラマでも出てきた!」と発見するのも楽しみの一つかもしれませんね。また、韓国内あちらこちらにあるので、自然など、韓国の様々な風景を見れるのも魅力です。また、有名になったロケ地は観光客が多数訪れるので、その土地にとっては経済効果もありますね。

私も、あるドラマで使われた高台にある階段のところに行ってみたいと思っています。主人公の気持ちになってみたいと思ったりするのです。

マナーや節度は守って

常識的な事ですが、マナーは守らなければいけませんね。どこに行ったとしても言えることですが、その地にゴミをポイ捨てしたりなど、汚さない様にしましょう。落書きなどはもってのほかですね。そして、憧れの地に行ったということで、嬉しいというのはわかりますが、テンションが上がりすぎて、うるさく騒いでもいけませんね。注意しましょう。写真を撮られる方も多いと思いますが、他の人の妨げになったりはしないようにした方がいいですね。

周りに迷惑をかけない事は、とても大事ではないでしょうか。マナーを守って楽しくロケ地巡りをしたいものですね。