近代から現代までの歴史

1876年に、李氏による朝鮮王朝の時代が、500年ほどで幕を閉じました。日本では明治時代です。韓国(及び朝鮮)も変革の時代を経たのです。その後、朝鮮半島はどの様な道筋を辿って、今に至るのか、探ってみましょう。

朝鮮王朝後

1910年の日本の韓日合邦によって、朝鮮には反日感情が生まれました。そんな中、朝鮮が独立した国家だということを知らしめるために、国号を「大韓帝国」と改めます。しかし、1905年に乙巳保護条約が結ばれたことで、韓国併合が民衆にも知らされたのでした。

日本の統治、そして南北分裂

韓国併合が成されたことによって、日本による支配があったことは避けられない真実なのです。日本らしい文化を入れようとし、学校では、ハングルを使う事まで咎められました。1919年に起きた非暴力独立運動では、多数の犠牲者が出ましたし、捕らえられました。第二次世界大戦では、人民が駆り出されたのです。1945年に日本が戦争に降伏し、ポツダム会議で北緯38度以上はソ連が、それより下はアメリカが占めることになったのでした。

これで、南北は分裂し、国際的な組織の助けを受けて北部は平壌が首都の「北朝鮮」、南部は「大韓民国」という名になり、ソウルが首都となったのです。それが1948年でした。

朝鮮戦争

1950年には、北朝鮮が韓国に侵攻し、戦争となりました。これが朝鮮戦争です。韓国側の援軍として、先の国際組織が付き、その後北朝鮮には中国が援軍として付きました。両方で数百万人にも及ぶ犠牲者がでた戦争は、3年にも及んだのです。

その後

1960年になると、当時の大統領が、当時の政権に不満を抱いた学生たちによる運動のために首都を追われました。そして、1961年に軍需基地司令官が軍事反乱を起こし、当時の政権を変えてしまいます。そして、一時的に軍隊に政権を移すと宣言し、大統領の座に就いたのです。民主的ではなかったものの、産業や経済を発展させたのでした。この大統領の政権下で、高速道路やソウルの地下鉄などが拡げられました。

しかし、民衆は民主化を望んでおり、1979年に当時の中央政府部長に斃されてしまいます。この事件の捜査をしていた国軍保安司令官が1980年に政権を手にします。光州で起きた学生らによる民主化の運動を、軍の者たちに鎮静化させたのです。数百人にものぼる死者と多くの怪我人を出しました。以前より厳しいわけでもないし、沢山の改革をしたものの、長きに渡った軍指導の政権に、人々は疲弊していたのでした。

1987年の大統領選挙で、今度こそ民主化を期待した国民の学生デモが起こり、ついに6.29民主化宣言が出されたのでした。そして次に就任した大統領は、国際的なスポーツ大会を成功裏に終えたのでした。続いて、1997年に4度目の挑戦にして就任した大統領は、憲政史で初めて野党として政権を勝ち取ったのでした。北朝鮮との関係改善を図り、平壌で南北首脳会談を行ったのです。